ブログパーツ
以前の記事
2012年 04月 2011年 06月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
家族が使っているFC2にブログを引っ越しました。 (家庭内サポートが得られそうなため) 新しいブログは、こちら。 http://zamamidolphin.blog.fc2.com/ 今後は更新も少しずつしていきます。 #
by emimi111
| 2012-04-17 13:44
眼がみえるようになった直後の4月3日、また足を挫いてしまった。 朝、通院のために都バスに乗り換える時、バスがバス停から離れた道路にとまり、乗車口を開いてくれないので、乗ります、という意思表示で、扉のほうにむかってすすんだつもりが、歩道と車道の段差を踏み外して、左足を挫いてしまった。痛くてしばらく立ち上がれなかった。。。 どうしても、その日の通院は行かなくてはいけないので、左足が痛い、と思いつつも、なんとか歩いて、まずはその病院へ。 普段は待ち時間が3時間くらいだけど、足はどんどん腫れてきて、痛みも増してくるので、なんとかお願いして、超特急コースに乗せてもらい、1時間半程度で終了。 家族に、以前買った松葉杖をもってきてもらい、それをついてタクシーに乗り、聖路加の救急外来へ。 レントゲンをとっても、例によって、腫れが強くて現時点ではよくわかりません、ひびがあるように見えるので、骨折に準じた処置をします、とのこと。 半分の筒状のものをあっためて、足の形にあわせて曲げた、オリジナルのギプスをつけられる。 前回は、2010年5月。雨降りの日で、六本木のエスカレーター下りで足を踏み外して打撲し、左足を巻き込んでしまった。最寄の駅で動けなくなり聖路加まで救急車。やはり同じことを言われたけれど、ギプスまではしなかった。結果的には、事故直後の土日を安静にし、翌週月曜日から、松葉杖で仕事に行っている。そのあと1週間くらいで、松葉杖は卒業し、おしゃれステッキで歩けるようになり、1カ月程度で完治。 今回と全く同じ、左足のくるぶしあたりの怪我だった。(どうも足首が弱いらしい。この前整体の人に云われたばかり。。。) しかし、今回は様子が違う。腫れがすごい。そして、週の半ばだったことから、当日はもちろん、しばらく仕事には行けない。 翌4月4日もどうしても通院しなくてはならなかったので、ひとりでタクシーを呼んで、ほんの少しの距離を松葉杖で歩く練習をしてみたけれど、胸筋や腕回りが猛烈に痛くなり、5分ともたない。(2010年はなぜ歩けたんだろう?)そして、手のひらにもマメ。 午前中の通院後、そのまま近所の整形外科(2年前にもお世話になった)にタクシーで行き、聖路加の紹介状、レントゲン写真を渡して、受診。ここでも2時間半待ち。同じところを怪我する人も珍しい、などと言われつつ、もう一度レントゲンを撮るも、あやしいヒビのまま。でも、腫れの強さからすると、骨折、とのこと。 今回は、少し長いですよ、と言われて、がっかり。帰りは、外出していた家族がちょうど帰ってくる、というので、合流して、外で食事をし、自転車に無理やり乗せてもらって帰る。楽。 一人ではなかなか動けないことがわかってきたので、3日目の4月5日、仕方なく、家族に懇願して、区の車いす貸出を利用することに。1カ月以内ならタダ。1000円払って会員になると1年まで借りられる。 私は今まで当たり前のようにできてきたことができなくなる現実が受け入れられず、家族もストレスがたまってきて、喧嘩に。。。 翌6日もどうしても通院しなくてはならず、今度は車椅子と松葉杖をもって、家族と一緒に通院。 帰りに、車椅子で自力で少し動いてみたけれど、東京の歩道はでこぼこだらけ、傾斜も多く、自力で車椅子を動かすのはとても大変。また、バスにも乗ってみたけれど、運転手さんに面倒かけてしまう感じがして、気がひける。 なにより、マンションのまわりは、スロープだらけ。ひとりでブレーキかけて下ったり、自力で登ることは不可能。 ということで、車椅子での一人の外出は、現実的ではないことを実感。 車いすは、もっぱら家の中での移動(とても助かる)と、たまの散歩に使うことに。 仕事にはしばらく行けず、仕方がないので、必要な資料をいくつか送ってもらい、自宅勤務に切替。 3月末までにある程度まとまった仕事を終わらせていたので、さほど忙しくなく、通常の半分程度の仕事量かな。 4月7日、家族に頼んで、近くの公園まで車いすで連れて行ってもらう。桜が綺麗。私はだいぶん現実を受け入れはじめ、家族も私がずっと家にいる状況に慣れてきた。 8日、レーシックの術後1週間検診のため、タクシーを呼んで松葉杖ででかける。 有楽町のイトシアで、松葉杖でなんとか動いている私をみて、子供が親にきいていた。「ねえ、あの人、血でてるの?」それって、戦場帰りの兵士とかのイメージ?ちょっとおかしかった。 帰りにひとりでバスに乗ってみたが、ノンステップバスではないバスは、厳しい。 松葉杖を使って乗れず、仕方なく左手に松葉杖をまとめて持ち、扉についている手摺を右手でもって、右足だけで高くジャンプして飛び乗る。今度は右足を怪我しそうで怖い。 10日、もういちど、満開の桜を見に連れて行ってもらった。外出はありがたい。 11日、一日中雨。ようやく、自宅勤務にも慣れてきた。今日行こうと思っていた整形外科は、雨のため断念。 12日(受傷10日目)、再び整形外科に。家族が自転車ででかけるというので、松葉杖をもってもらい、左をささえてもらいながら、右足で自転車をこいですすむ。沢山すすむので、楽ちん。 2時間待って、診察。レントゲンの結果、まだ怪しいヒビのようなもの。 翌日から予定していた沖縄・西表の休暇は当然行けないので、キャンセルのために診断書を書いてもらう。 左腓骨骨折、左距骨骨折、全治6週間の見込み、とある。情ない。 湿布と、炎症を抑えるためのロキソニンと胃薬を処方してもらい、これから少しずつ良くなっていくと励まされて家路に。 帰りは一人で松葉杖でバスに乗るも、ノンステップバスが、バス停から少し離れてとまると、一旦道路に降りなくてはならず、ノンステップバスではなくなる。ステップが高いので、松葉杖ではのぼれず。結局、前回と同様、右足で高くジャンプ。怪我をしないか、ひやひや。 また、家の近くのバス停からマンションまでの道のりがつらかった。普段は、歩いて5分程度の距離なのに、松葉杖で30分くらいかかって、汗だく。 長いスロープを登るか、かなり遠回りをして1階分のエレベーターに乗るか、大きい選択があったが、長いスロープを選び、途中で手摺をもって何度も休憩をしながら登りきる。 これでは、しばらく通勤は無理だ、と実感。(一体、2年前はどうしていたのだろう) そして、15日も午後に公園にお散歩に連れて行ってもらう。 桜はもう葉桜となっていたけれど、自宅からもってきた豆を、ハトやすずめ、体が黒くてクチバシが黄色い小さい野鳥?などにあげて、触れ合う。カモメを眺めたりして、海沿いをお散歩。 左足は、だいぶん腫れもおさまってきて、朝、ステッキの練習をしてみたけれど、まだ、右足ケンケンと同じ状態。左足に体重をかけられない。まだ、ステッキは無理か・・・ ということで、今週も自宅勤務だろうか? ひとつ、どうしても金曜日に出向かなくてはいけない仕事があるけれど、松葉杖では行かないほうがいいのかも。明日、電話して相談してみよう。 #
by emimi111
| 2012-04-16 00:23
2008年1月からずっと続けていたオサート。 普段L0.06 R0.05の視力が、寝る前に特殊なコンタクトをつけて寝るだけで、「寝ぐせ」がついて、翌朝起きると、両方で1.2前後見えるという代物。 初期費用が、確か両目で39万円くらいだったかな。オサート用のレンズは、代(1代の中で2、3枚変更可能)を変えるたびに、3万いくらを払っていた。結構お金のかかる代物。 定期健診は、1,2か月に1回だけど(視力が目標に達した人は半年に1回程度らしい)、クリニックはとても繁盛しているので混んでいて、2時間待ちくらいはあたりまえ。 レーシックの手術が怖くてオサートをずっと続けてきたけれど、左は2代で、比較的早く安定した視力(1.0から1.2)が出るようになったものの、右は何度レンズを替えても(4代くらいまでいった)0.8くらいしか見えない(なぜか、1代目の頃は1.0見えていたのに)。 また、「寝ぐせ」なので、朝が一番よく見えて、だんだん見えづらくなり、夕方には軽い度入りのメガネが必要な感じ。 夜はまっすぐ上を向いて、6時間くらいは必ず寝なくてはいけないので、睡眠時間が短かったり、寝像が悪いと、翌日はあまり見えなくて、いろいろ不便。 2009年には、レンズで角膜を傷つけてしまい、2週間くらい装用停止。すると、寝ぐせはなくなり、元の視力に戻ってしまう。そこから、またレンズの段階を一代目から1週間くらいずつ装着し、ようやく元のレンズまで辿りつく感じ。 売りは、いつでもやり直しがきくこと。手術をしないので、また元のメガネ生活やコンタクト生活に戻ろうと思えば戻れる。 でも、私は、右の視力があまりでなかったし、1日の中での戻りもあり、結局コンタクトのケアが必要なので、あまり快適なものではなかったかも。 年齢的にも、そろそろ老眼の心配もでてきて、オサートでは対応できない。 また、震災を経験したとき、眼が見えなくてコンタクトが使えないと、とっても不便だな、と感じたことから、周りの人の情報や経験を聴いて、一念発起して、レーシックに挑戦することを決意。 オサートをしていた人は、レンズをとってから3カ月しないと、視力が元に戻らない、というので、2011年12月末を最後にレンズ装着を停止。その後は、ワンデーとメガネを併用して、しのぐ。 そして、3カ月が経過した今年の4月1日に手術を受けた。 前日の4時間程度の検査のときに、点眼の麻酔を経験し、眼球が無感覚になる経験をしたので、変な自信をもって手術に臨む。 6人くらいずつ、どんどん呼ばれて手術をする。若い人から年配の人(たぶん後で老眼手術をする人)までたくさん。 手術自体はとても短くて、5~10分くらい? レーザーが動いているときに、ちょっと焦げくさいようなにおいがして、人体を削っているな、とリアルだったけど、特に問題なく終了。ただ、手術台に乗ってから、瞼を開く器械(ビューラーみたいなもので、上と下の瞼をひっぱられて固定される)、というのが結構痛かった。 レーシックは、手術機器のレベルで値段レベルが違うのだけれど、眼のことなので、最高級(眼球が動いてしまってもきちんと追尾捕捉するというもの)というのにした。他の人もほとんどこれだったもよう。 説明会割引・紹介割引などが入り、レーシックだけの実際の負担は、たぶん26万円くらい。(それに、保険金が払われ、さらに確定申告で医療費控除をするので、たぶん最終的には10万円を切るくらい) 普通のレーシック手術の直後、手術室を歩いて移動して、角膜強化術(クロスリンキング)という手術も受けた。 この時点で、すでに視力がよくなっているので、最初の手術のときには、ぼーっとしか見えなかったいろいろな器械が、はっきり見えて、目の前に迫ってくるのでちょっと怖かった。 角膜につけたフラップ(切れ目)を、ピンセットみたいなもので、開けるのだけれど、ぺらって感じがして、リアルだった(痛みなどはなし)。クロスリンキングは、ビタミンをたくさんフラップの中にそそいで、そこに赤外線をあてることによって、角膜を強くするものらしく、もともと視力が悪い人は、レーシックで削る量が多いので、これをしておくと、眼がドライアイになりにくい、視力が戻りにくい、といったメリットがあるらしい。 レーシックを受けたほとんどの人が、これもやっていた。(ちなみに、値段は両眼で15万円。レーシックと同日なので、私が加入している保険は、レーシック分しか保険金支払いの適用がなかった) 当日帰って、手術後4,5時間が痛みがピークです、と言われたものの、あまり痛みはない。 その時間帯に、ちょっと光がしみたり、涙が出始めたので、処方された痛み止めの目薬を数滴たらしてみて、少し落ち着いた。以前、オサートのレンズで角膜を傷つけてしまっときのほうが、光が眼にしみて涙がでて痛かった。 処方された消炎の目薬など種類の違う3本を1時間ごとに順番に点眼する。 そして、手術後1週間は外出時に、眼をガードするメガネをかけなくてはならず、また、寝る時は、眼を触らないように、カメレオンのような透明なプラスチック眼帯をつけて寝る。 見え方は、手術直後(18時半)から寝るまでは、全体的に薄いモヤがかかった感じ。たとえば、コンタクトを長時間しすぎて、眼が乾いて光がぼわーっとする感じ(グレア)。 翌朝起きると、痛みなどはないものの、眼が乾きやすい。グレアはまだあるけど、モヤは薄らいでいる。 翌日検診にいくと、L1.2 R1.5とのこと。見えてるんだなぁ。 消炎の目薬など3本は、1日5回点眼に減る。夜寝るときのプラスチック眼帯は相変わらず。 手術後3日くらいは、良く見えすぎてしまって、夜、少し頭痛がした。 術後1週間の検診へ行く頃には、グレアもほぼなくなり(3、4日目くらいから?)モヤも晴れている。 検査の結果、LRともに1.5とのこと。 いろいろはっきり見えるけど、予想通り、前よりも近くが少し見えにくい。といっても、老眼がはっきりわかるほどではない。(小さい字を見る距離は、30センチくらいが適正かな?以前は近くで読んでいたけど、今は、近すぎると見えない。) この時点で、角膜につけたフラップは、7,8割はくっついている、でも、1カ月くらいは、なるべく眼をこすらないように、とのこと。夜の眼帯は卒業。目薬も使い切って終わり、とのこと。 最近は、夜になると、コンタクトをとらなきゃ(または、つけなきゃ)、と思うけど、あ、これは裸眼だった、と再認識する日々。 あとは、2ヶ月後のカメラインレイ(老眼矯正用の手術)。 本当は、レーシックの1カ月後から受けられるけど、保険の関係で、2ヶ月後にした。 これは、効き目ではない眼だけに、ポケットをつくり、ピンポイント効果を出す素材を眼の中に入れ込む手術。 老眼がすすんでも、眼の自動調節機能で、ピンホールから覗く感じで、普通に近いところも見えるようになるらしい。 今度は、左目だけとはいえ、よく眼が見えるので手術がちょっと怖いな~。 料金は、総額からレーシックとクロスリンキング分を引いたら17万円くらい?保険金がでるし、医療費控除もあるので、実質は半額以下になる。 その眼科では、松本伊代と小柳ルミ子がこの手術を最近したらしく、待合室では大画面にエンドレスで二人の経験談ビデオが流れていた。 ということで、現時点では、裸眼であちこち見える人になりました。 #
by emimi111
| 2012-04-15 23:13
昨年2月にガラパゴス携帯からスマホに乗り換えたこともあり、携帯でのブログ投稿にいまいち慣れないうちに、時間が経ってしまった。 Twitterをたまにやる程度で、このブログは、なんと10ヶ月もご無沙汰。 最後のアップデートからの近況報告兼備忘録。 昨年6月の後、10月頃からとある通院をはじめ、未だに継続中。 一喜一憂の日々。 かなりのお金がかかるので、確定申告では医療費控除を申請。 ダイビングは、しばらくお休み。 2010年11月に入院後、12月末に行ったけど、そのあとは、2011年3月、2011年9月くらいが最後かな~。もう、冷たい水に入るのが億劫な感じ。 1年に80本から100本潜っていたのに、信じられない。 沖縄通いは相変わらず、月に1,2回行っていたけど、通院の関係で、どうしてもキャンセルしなくてはいけない時もあり、おかげで、2011年は、プラチナメンバー達成に400マイル分だけ足りず、修行に行ってしまった(関空日帰り)。 でも、思いもかけず、帰りにスターフライヤーズとの共同便でかっこいい飛行機に乗れて、大満足。 今年は、通院と、後で書く怪我もこともあり、まだ3回しか沖縄に行っていない。まずい。。。 三線は、相変わらず沖縄の先生に教わっている。 三線を始めたのが2006年2月、沖縄の先生に教わり始めたのが2008年1月。 コンクールは終わったけれど、今度は教師試験なるものがあって、どうなることやら。 唄上手になりたいな~。 と、とりとめもなく、近況報告でした。 #
by emimi111
| 2012-04-15 22:21
昨日は、琉球民謡協会のコンクール最終日。 唄三線と言って、三線を弾きながら課題曲を唄う試験。課題と3曲から本番の曲が決まるのは2週間前。それまでは沖縄どの曲にあたってもいいようにまんべんなく練習が必要。 私は、三線を習い始めた翌年に受け始め、今年は5年目、最後のランク、最高賞に挑戦した。 新人賞から始まり、合格しても修業のために次の優秀賞は2年後にしか受けられず、今回は最後の賞だった。 いつも会場は、中部にあるうるま市の、数百人入る立派なホール。審査員の先生方が目の前にずらりと並び、客席も全国から集まった人達でいっぱい。 そんな中、たった一人ステージに上がり、自分の三線と唄だけが鳴り響く。 普段上手な人でも、緊張で震えて実力を出しきれない。 私もとても緊張して、朝8時に入り、順番が最後の方で唄ったのは4時半頃。 疲れて高音の声が出づらかった。 これまでも教室の上手な人でもなかなか合格できなかったし、また来年も頑張ろうと思っていた。 合格発表は、午後7時半。 審査員の先生方の講評の後、ホールの幕がじゃーんと開くと、えっ!? まさかの合格。かなりびっくりしたけれど、思わず涙が少し滲んだ。 同じ教室から受けた他のメンバーは、残念な結果に。普段からいろいろ活躍している人たちだけに、なんだか申し訳ない気持ち。 でも、この賞に恥じないよう、これからももっと練習をして、沖縄の唄を人の心に届けられるよう、頑張ろう!と誓った夜でした。 今日はこれから始発の飛行機で、東京へ。そのまま職場に行って、仕事だ〜。 #
by emimi111
| 2011-06-13 07:35
|
ファン申請 |
||